大阪なおみ快挙。
あべです。

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先日昭和の風俗について書きましたが、今回はテレクラ。

テレクラは“まじめ”なものだった? 意外な誕生秘話〈週刊朝日〉

> 「テレクラは、さまざまな人が入り乱れるシロート参加型の風俗の元祖だった」。
> 風俗ライターの伊藤さんは言う。
> 「援助交際」という不思議な言葉が生まれたのは平成に入ってからだが、売春に比べると罪の意識も薄かったのだろう。
> 消費社会の中で、ゲーム感覚で自分の都合のいいときにのみ電話をして交際をし、別れる。
> 愛情に飢えていた女子高生もいただろう。
> おじさんはバブルの絶頂と崩壊という社会の潮流にもまれ、生きる目標を失っていたのだろうか。

テレクラの発祥についてのコラム。
テレクラの全盛期は昭和61年だそうで東京に400店、全国には1,000店のテレクラが鎬を削っていたそうな。

あべが小学生~中学生の始め頃は街中のいたるところにテレクラのチラシが貼られていた印象があるので、
平成6年前後まで、つまり約10年の間テレクラは日常の風景でした。

電話ボックスの中はピンクチラシで埋まり、電信柱や路上でもアホほど宣伝されていたイメージ。
それが今では綺麗サッパリ無くなり、健全な街並みになっています。

もちろん良いことではありますが、なんとなく寂寥感を覚えもする訳で。

というかあべ自身、テレクラ経験が無いので一回ぐらいやってみたい。
もしかしたら、黒髪ロング背低めで顔面騎乗に興味のある、都内一人暮らしの18歳の素人の子とかと出逢えるかもしれません。

まあコラムでも書かれている通り、プロ・素人関係なく「出会いの場」というのは時代が変われど無くなるものではなし。
テレクラからツーショットダイヤル、出会い系サイト、そしてSNSに変わっていっているだけなのかもしれませんが。

そうか。
黒髪背低m(省略)と出逢いたいなら、今ならtwitterで出会えということなのか・・・
無理ですね。出逢える訳がない。
というかそんな子いても詐欺にしか思えません。
絶対に信じられない。

やっぱり顔騎は風俗で楽しむのが一番です。

なんだか今日の話は中身がない気がする。
っていつも無いか!
あべでした。